30枚目

新曲「Ambitious」がとっくに出ており、シングルDVDも発売となりました。
CDについていたおまけDVDの「青空」で泣くのはもはや当然としても、DVDの最後のスライドショー、紺ちゃん、マコと他のメンバーたちとの2ショット写真連発を見て感極まってしまったのは自分でも驚いた。
あかんあかん、これでは23日家に帰れるかわからんわ!!
とりあえず24日は休暇を申請しましたので、23日にどうなっても多分大丈夫なはず・・・・・・


さて、とにかく「区切り」が近づいているし、娘。にとっても節目。
そんなわけで、各シングルでの思い出を、わがヲタ史とともに振り返ろうかと思う。
今回はとりあえず「モーコー」から「Memory」まで。

  • 第0章 明日香時代 1998年1月〜1999年3月

モーニング娘。と言う存在を知ったのは、今でもはっきり覚えている。現在もしぶとくOAを続けるダウンタウンの「HEY!×3」だった。
当時日曜日はバイトをしていたのでASAYANという番組は見ていなかったんで、本当に唐突に出てきた印象だった。
第一印象は最悪。シャ乱Qが結構好きだったこともあり、つんくも遊んでないで早く新曲出せよと思ったものだ。


デビュー曲「モーニングコーヒー」は割りといい曲だったが、その無理しすぎの衣装や笑顔に痛々しさを覚えた。
大体アイドル自体大嫌いだったし。
続く「サマーナイトタウン」、「抱いてHOM」については、変わった曲だなあという程度の印象。
ようやくインパクトを受けたのはそう、「Memory 青春の光」である。
これはモーニング娘。はアイドルではない、ボーカルグループだ!と言ってしまってもいいほどの素晴らしい曲だと思う。実際、初めてTSUTAYAでレンタルしたしね。
蛇足だが、ASAYANなんて見ていないし、顔と名前が一致したのはせいぜい福田、安倍、中澤ぐらいで、「追加メンバー」の3人は誰が誰やら状態だったから、コンビニの放送で耳にした「たんぽぽ」をTSUTAYAで借りてきて、歌詞カードみてびっくりなんてこともあったなあ。


そんなわけで初期の頃はアイドル的愉しみ方と言うのはあまりしておらず、どちらかといえばつんくがプロデュースしたグループとして音楽的に見ていた。だから当時は「推し」なんて当然なかった。
でもねえ、今考えると初めて「推した」のはきっと福田明日香


今も昔も、グループの中でちょっと変わっている人が気になってしまう性質で、ませた子供の発言を繰り返す明日香は面白い存在だった。「HEY!」のトークでも焼銀杏と呼ばれていじられキャラだったこともあって、当時の「モームス」への印象は歌というよりも福田明日香というちょっと変わった女の子がいるグループ、と言う認識だった。


そんな福田が、学業に専念したいなどと最近どっかで聞いたような発言で芸能界引退を表明したときも、「ふうん」と思っただけだった。まあ、明日香らしいとは思ったが。どうせまたすぐ帰ってくるんだろうと思ったしね。*1


とにかく、明日香卒業とともにこのグループも終わりだろう。
鼻くそをほじくりながら他人事のように明日香の一本締め*2を見ていた頃には、まさか娘。というグループとこれほど長くかかわるようになるとは思いもよらなかったのであります・・・・・・

*1:そうこういっているうちに7年たっても明日香は復帰していないのだから、驚くべき意志の硬さと言うかなんと言うか。最近聞いた人のほうはできればすぐに帰ってきて欲しい、いや、帰ってきてくださいお願いします。

*2:前出「HEY!」最後の出演時。最後に一言とダウンダウンにふられた明日香は、何を思ったか一本締めでその場を締めた。