信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つくほうがいい
娘DOKYU!にて4月29日の大阪公演の模様が放送されました。
悲しみも、動揺も無い、凛とした表情。
それは、この前のハロモニ。でのコメント、SSAで生で見たものとほとんど同じ印象。
この子は、嘘なんてついてない。
確かに曖昧な表現が目立つ公式コメントだ。そして、言っていることは毎回同じ。
だから、用意された台本を必死に暗記して間違えないように喋っている。
そんな分析が的を射たものだと思っていた時期もあった。
でもね、あの日さいたまで生コメントを聞いて、どうも違うように思えてきた。
紺ちゃんの中には明確なイメージがあって、毎回それを思い浮かべながら言葉をゆっくりとつむいでいく。
しっかりと一本芯が通った考えがあるのだから、それについて喋れば同じような表現になるのは当然。
もちろん、あのコメントが全てだとは思えない。
でも、”あのコメントの中に”嘘は何一つ無い。
最初は、ちょっと無理やり自分を納得させようとしていた面もあった。
でも、今では確信をもってそう思える。
先週のスフィアのセレモニー*1を見て、吹っ切れたものが芽生えはじめています。
「けじめ」をつけるためにはセレモニーって重要だね。昔は卒業式やら入学式なんて何の意味があるのかと思ったりもしたこともあったっけ。
あの大歓声、幸せそうな紺ちゃんの顔。あの美しいセレモニーを見て、初めて「受け入れよう」と心から思えたのかもしれない。
紺ちゃんが幸せならば、全て受け入れようじゃないか!それがヲタであり、ファンであり、漢だろうがよ!
そんな、一番最初に頭で考えたことに、徐々に心が追いつきつつあります。
今となっては、7月23日、最後に彼女が何を歌うのか*2がとても楽しみなのです。
言葉だと言えないことが、歌にすると言えることってある。そこにはきっと、紺ちゃんからのメッセージがあるはずだ。
ちなみに表題は、糞古いですが海援隊の名曲「贈る言葉」から。
自分が小学校のときに卒業式で歌ったか歌ってもらったかした記憶がある。あの頃は詞の意味なんて意識してなかったけど、いい詞ですな。
ぽっかり穴が開いた心を埋めるべく最近とにかく音楽ばかり聴いておりまして。
で、この曲はiPODになぜか入っていたのですが、海援隊のものではなく、フォークソングス3*3でミキティがカバーしたものだった。
見つけて聴いたときは泣いたね。
歌い手がミキティと言うのも泣ける。